パラサイトシングル再び!


パラサイトシングルという言葉が注目されたのは、1999年のこと。
それにさきがけ、1998年に『パラサイトシングル』という著書を上梓しました。


パラサイトシングルとは、適齢期を迎えてもなお、親元で同居しながら、
一向に自立しようとぜずに、独身生活を謳歌している非婚者のことです。

パラサイトには寄生という意味があります。
あまりイメージはよくないのですが、カタカナにすると寄生虫という言葉とは別の
ニュアンスをもった新しい流行語になりました。

パラサイトシングルというネーミングの受け止め方はまちまちでした。

好意的に、肯定的に受け止めたのは、イケイケドンドンの女性達でした。
当時はバブル経済の恩恵を受けて、仕事が楽しくて、恋はするけど、
まだ結婚には縛られたくないという女性たち。
彼女たちは、実家でパラサイトシングルな生活を送るのを、
あえて選んでいたふしがあります。

実家を出て一人暮らしをすると、なにかと出費がかさむけど、
親元にいれば、稼いだお金の大部分は、趣味や自分磨きに回せる。
多くのパラシン女子たちは、その余裕で海外旅行や短期留学を楽しんでいました。

おまけに、家にいれば、世話好きな母親が“お嫁さん”のように何でもやってくれます。
仕事に夢中なキャリアガールにとって、“お嫁さん”のような母親の存在は貴重でした。

かくいう、私もこの仲間です。
開き直って、いいとこどりをして、パラシンライフを猛進していました。

一方、本当は家から出たい、結婚したい、もっと生活を変えたいけど、
人生設計がうまくかずに、仕方なくパラサイトシングルに甘んじているという
意識が強い人たちには、あまり、良い印象をもってもらえませんでした。
取材をさせてほしいとお願いしても、「なんで、そんなレッテル貼るの?」って。

たしかに、世の中では「パラサイトシングルはけしからん」みたいな風潮もあって、
風当たりが厳しかったのも確か。
「こっそり、目立たないように親元で生活してるのに、どうして、騒がれて好奇な目で
見られなくちゃいけないの!」と噛みつかれたりもしました。

いわれてみれば、納得です。
私が、30歳だったときは、
周りでも、30過ぎても結婚しない女性が増えてきた時期ではありましたが、
やはり、どこか、「嫁に行きそびれて可哀そうな女性」という視線を感じていました。
その上、親元から独立しない生活を続けているのを「おかしい」と思う人は多く、
よく指摘もされました。

でも、パラサイトシングルという言葉が認知されたので、楽にもなりました。
「今流行りのパラサイトシングルよ」というだけで、もうあれこれと
説明が不要になったからです。

もちろん、肯定的に捉えていた私にも
このままでいいのかなという気持ちはありました。
しかし、本を書くために取材をして、
同じような感情を共有する女性達と話しながら、
人生の一時期に、こういうライフスタイルを選択して、
自分らしい生き方を模索するのも、ありではないかと。

大学を卒業→就職→実家を出て一人暮らしする→結婚
というプロセスを誰もが辿る必要はなく、
パラサイトシングルとして、悩んだり、試行錯誤する時期があってよいのだと。

そして、自分はこう生きたいという、確固たるものができたら
そのとき、パラサイトシングルを卒業すればいいと。

パラサイトシングルを卒業するという意味には、
見かけ上は、相変わらず独身でもいい。
親元にいたっていい。
ただ、経済的には親や社会に寄生しない、
そして、精神的に自立・成長した大人になる。
これが大切だと話し合ったのです。

何年たっても相変わらず、
パラサイトシングルを続けている私ではありましたが、
気が付けば、親に寄生などできなくなっていました。

それは親が介護される年齢になったからです。
50歳を過ぎたとたん、
私は、一人っ子の独身という状況で
仕事をしながらも
両親を介護するという時期を迎えました。

開き直って、いいとこどりをして、パラシンライフを猛進していた生活が一変し、
いままでのしっぺ返しが一気にやってききたのです。

ただ、どこかで、こういうときが来ることを
想定にはいれていたから、
仕方なし・・・というかやらないと前に進めない。

私は、パラサイトシングルの成れの果てとして、
最後まで、この生き方と向き合い、
もう一度、自分の人生をみつめてみようと思うのです。

このブログにお付き合い、ありがとうございました。
引き続き、よろしくお願いします。

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